| 日米開戦に至る過程への私的考察 |
||
| そうは言っても、あの時点で山本長官が採れた方策は他になかったのかもしれず、結果論として、何もしないほうが良かったのかもしれません。 東南アジアからのシーレーンを維持するためには、米国の支配下にあったフィリピンの攻略は必須だったでしょう。実際に日本軍はフィリピンを攻略・占領していますが、真珠湾攻撃をせずにフィリピン攻略だけにとどめておいた場合、どうなっていたかはわからないところです。フィリピンへの攻勢でアメリカ世論が真珠湾攻撃のようには盛り上がらなかったなら、ルーズベルト大統領の政治姿勢からして、戦争に至らなかったかもしれません。ルーズベルト大統領は世論に先んじることを避けていたことが本書でも示されています。(フィリピン人の心情を考えることができない日本軍だったがゆえにフィリピン人を敵にまわしてしまいましたが、それはまた別の問題です。) また日本国内のみならず世界的にも、真珠湾攻撃で、米戦艦が全滅されたと戦果が強調されていますが、実際にはあれらの戦艦は旧式で速力が遅く、その後の海戦ではレイテ沖海戦のスリガオ海峡海戦で、西村艦隊を迎撃するのに使われたくらいで、あとは上陸作戦時の陸上砲撃が主任務で、大して有用なものではなかったでしょう。 速力の遅い戦艦が十分な役割を果たせないことは、第一次世界大戦のユトランド沖海戦で既に実証されていたことです。ユトランド沖海戦では、多大な被害を出しながらも主役を演じたのは高速の巡洋戦艦(と高速戦艦)でした。 太平洋戦争の開戦に至る過程で、どこかで戦争を避けられなかったのか、という問いはこの戦後の80年余り、多くの人が考えてきたことでしょう。現代の私たちは、開戦後の重みを知っているから、あの時点でなら苦渋の妥協を受け入れるべきだったのではないか、と思える箇所もありますが、時代の流れの中にいた当時はその後の歴史の苦難を見通せなかったのでしょうか。 そもそも、太平洋戦争に至る発端は、昭和6年の満州事変で、出先の部隊に過ぎない関東軍が独断で暴走したのに、東京が何の処罰もしなかったのは今の目からは不思議に見えますが、その後陸軍を中心として国全体が満州へ進出しようとしたことを、当時の誰も疑問に思わなかったのでしょうか。当時の不況と帝国主義の空気の中では、政府もそれを良しとしたということでしょうか。それが太平洋戦争の惨禍につながる芽だったわけですから悔やまれます。 またよく指摘されるのは、大日本帝国の内閣では、陸軍大臣、海軍大臣に現役の軍人が就いていたので、軍が反対して大臣を辞めると政権が崩壊するという脆弱性を抱えていたことです。米国、英国などでは、そうではありませんでした。私は、そうした態勢を変革する世論の力が無かったとして昭和初期の一般国民にその力を求めるのは酷なように感じます。彼らは明治維新以来、ひたすら富国強兵の道を歩んで来ざるを得なかったように思うからです。しかし現代の日本国民は違います。あのような重大な経験をし、これだけ情報が得られる中にいるのですから、昭和初期とは異なる世論の力を持っていて然るべきです。 日本人は自己変革ができず、外圧によってしか変われないとしばしば言われます。そうであれば、大きな犠牲を払いましたが、あの敗戦はやむを得なかったと思えるのは私だけでしょうか。現代の日本人が、本質をしっかり考える力を持って、必要な自己変革ができる存在になれるよう願うばかりです。 (浅学ゆえの認識違いもあるかもしれませんがご容赦ください。) |